美術品×創業者
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川崎 正蔵:川崎造船所創業者(川崎重工業の先駆けである川崎築地造船所(東京)を開設)
ウィキペディアには日本の実業家、政治家。神戸川崎財閥の創設者。川崎造船所創業者。美術蒐集家。川崎美術館(日本で最初の私立美術館)建設。貴族院議員。
創立は1896(明治29)年10月のことですが、造船業の歴史としては、それより18年前から始まっています。創業者の川崎正蔵が1878(明治11)年に東京・築地に川崎築地造船所を開設したのが起源です。
川崎正蔵は1837(天保8)年、鹿児島の呉服商人の子として生まれました。17歳(嘉永6年)で当時唯一の西洋文明への窓口であった長崎に出て貿易商の修行を積み、27歳(文久3年)のとき大阪に移って海運業を始めましたが、このときは、持船が暴風雨で遭難して積荷とともに海没したため失敗しました。
その後1869(明治2)年に、薩摩藩士が設立した琉球糖を扱う会社に就職、1873(明治6)年には、大蔵省から委嘱されて琉球糖や琉球航路の調査を行いました。翌年には日本国郵便蒸汽船会社の副頭取に就任し、琉球航路を開設、砂糖の内地輸送を成功させました。
この間に自分の運命を左右するような海難事故に何度も遭遇した正蔵は、自らの苦い体験を通して江戸時代の大和型船に比べて船内スペースが広く、速度も速く、安定性のある西洋型船への信頼を深めると同時に、近代的造船業に強い関心を抱くようになりました。
1878(明治11)年、時の大蔵大輔(現在の次官)であり同郷の先輩でもあった松方正義などの援助があって、東京・築地南飯田町(現在の中央区築地7丁目)の隅田川沿いの官有地を借りて川崎築地造船所を開設、造船業への第一歩を踏み出しました。
松方 幸次郎:川崎重工業の初代社長(川崎造船所(神戸)を創立)
ウィキペディアには日本の実業家、政治家。川崎造船所社長、衆議院議員(日本進歩党)、美術収集家。
川崎造船所が発足して7年後の1894(明治27)年に日清戦争が勃発すると、長らく低迷していたわが国造船業は、にわかに活気づきました。川崎造船所も船舶の修理を中心に注文が殺到し、繁忙を極めました。
こうした中、創業者 川崎正蔵は個人経営の限界を感じ、日清戦争が終わった直後、会社の将来の発展のために株式会社への改組を決意しました。
齢60に近く、事実上、後継者がいなかった正蔵は、同郷の先輩であり自分の事業の恩人でもあった松方正義の三男・松方幸次郎を後継者に選びました。
幸次郎は、1865(慶応元)年、薩摩国(現・鹿児島県)に生まれました。1891(明治24)年、父・正義が第一次松方内閣を組閣したのに伴い首相秘書官に任官、1892(明治25)年に正義が首相を辞任した後、1896(明治29)年、株式会社川崎造船所初代社長に就任しました。以来1928(昭和3)年までの32年間にわたってその座にあり、鉄道車両、航空機事業、海運業への進出、わが国初の8時間労働制の実施などの諸施策を通じて、川崎重工業をわが国有数の重工業会社に育て上げました。また、幸次郎は美術品の収集家としても知られ、私財を投じて収集した「松方コレクション」は国立西洋美術館の基礎となりました。東京国立博物館にも幸次郎が収集した浮世絵のコレクションが収蔵されています。